ゴルフコース

ゴルフコース

コース全体レイアウト

“箱根の山は天下の嶮”と歌われる富士箱根国立公園の中心に位置する芦ノ湖からその名を取った芦の湖カントリークラブ。

富士を眼前にする140万平方メートルという広大な敷地に、のびのびとレイアウトされたチャンピオンコースです。

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コース情報

コース設計者 佐藤 儀一
グリーン 2グリーン (ベント/ベント)
コースレート バック・・・・ 男70.0 女76.2
レギュラー・・ 男67.8 女73.6
フロント・・・ 男63.1 女67.8
(レディース)
ラウンドスタイル 乗用カート、キャディ・セルフ選択性
練習場 あり(180ヤード 7打席 アイアンのみ。)
TEE Aグリーン Bグリーン
Back 6308 6205
Reglar 5827 5716
Ladies 4757 4642

佐藤 儀一 氏

戦前戦後を通じ日本アマチュアゴルファーのトップに君臨した佐藤儀一氏は、1899年(明治32年)広島県福山市柳津町に生まれ、小学校を卒業すると父親のいるアメリカに渡米。カリフォルニア大学時代に近くに住んでいたプロからゴルフを学び、1936年(昭和11年)に日本に帰国するまで、カリフォルニア・ゴールド・メダリストに4回、1929年(昭和4年)に始まった日本ゴルフの海外遠征などではプロに交じって参加し、プロを凌ぐ活躍をみせる。
帰国後は関西の名門ゴルフコース広野ゴルフ倶楽部をベースに活躍、昭和10年以来、17年連続して同倶楽部のクラブチャンピオンに輝く偉業を達成した他、日本アマチュア選手権を昭和11年から13年までの3連勝を含む通算4回優勝、昭和23年から25年まで関西アマチュア選手権3連勝(その間、昭和10年から26年まで戦争で中断の5回を除く11年間で8回優勝/メダリストを獲得)。
更に昭和11年から13年迄及び29年から31年までと2度にわたって関西ゴールドメダル3連勝。昭和35年から37年まで関西シニア選手権3連勝と数々の大記録を残している。
1955年(昭和30年)以後はコース設計家として主に西日本地域ではあるが、城陽カントリー倶楽部、片山津ゴルフ倶楽部、東名古屋カントリークラブ等々、多くのコースの設計を手掛けている。

ヤーデージ

OUT
No 1 2 3 4 5 6 7 8 9 OUT
PAR 4 4 4 5 3 4 5 3 4 36
Back 300 368 339 618 150 351 449 169 318 3062
Reglar 284 336 326 556 135 336 412 146 311 2842
Ladies 261 261 231 486 113 232 380 141 275 2380
HDCP 15 3 9 7 13 1 11 5 17
IN
No 10 11 12 13 14 15 16 17 18 IN TOTAL COURSE RATING
Par 3 5 4 4 4 4 3 4 5 36 72
Back 204 461 346 371 420 344 154 405 541 3246 6308 70.0
Reglar 171 434 309 324 406 322 146 383 490 2985 5827 67.8
Ladies 148 354 296 264 294 234 138 288 361 2377 4757 67.8
HDCP 4 15 10 8 2 14 18 6 12